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新橋という地名の由来は、東海道を整備した際に架けられた橋の名前がもとになったという説が有力です。  溜池を起点とする築地川には土橋、泪橋と順に架けられ、その下流側に「シンハシ」という名称の橋が架けられていることが文政年間の江戸絵図で確認できます。築地川は、さらに下流の汐留橋をくぐって濱御殿(現在の浜離宮公園)の脇から海に注いでいました。
明治に入って、この地から横浜まで約29キロメートルの長さの鉄道が敷設され、いわゆる「陸蒸気」が走っていました。鉄道建設は、その後、日本全国に伸び、40年間で総延長が8,000キロメートルに達しています。この鉄道発祥の地の遺跡については、旧国鉄汐留操車場跡地の再開発に伴って発掘調査が行われました。そして、その調査結果を保存するため新橋停車場の駅舎が復元されて、「旧新橋停車場」として4月10日に汐留センタービルとともにオープンしています。この「旧新橋停車場」には、鉄道歴史展示室(入場無料)のほかに、レストランなども出店されています。
 
江戸期の絵図に見る新橋
汐留付近
汐留は、江戸時代の初期に埋め立てが行われたといわれ、その後は松平家などの大名屋敷が並ぶ地域となっていました。昭和に入ってからは、鉄道、特に貨物輸送の一大拠点となりましたが、そのため、第二次世界大戦時には空襲で大きな被害を受けています。戦後も長い間、物資輸送の巨大ターミナルとして、日本の高度成長を支えました。しかし、道路網の整備と自動車の普及による運輸事情の変化によって、次第に表舞台から遠ざかるようになり、昭和61年に汐留駅が廃止されています。なお、現在の新橋駅は、大正3年にそれまで「烏森駅」と呼ばれていた駅を改称したものです。この際、同時に新橋停車場を「汐留駅」と改称しました。  都内最大規模の再開発事業が進行する汐留地区ですが、実は、住居表示の「汐留」という名称は昭和40年に廃止されており、いまではこの一帯は「東新橋」という地名になっています。

復元された新橋停車場
  汐留の再開発は、1995年に事業決定がなされ、2006年の完成予定で工事が進行していて、再開発の総面積は約31ha、全体で11区域に分けられ、新橋駅東南部から浜松町駅北部にまで及びます。現在は、カレッタ汐留を擁する電通本社ビル、汐留シティセンター、松下電工本社ビルなどや、西街区の「チッタ・イタリア」の一部が竣工しています。  就業人口が6万人を超えるといわれており、これらのオフィスの賃料は29,000〜32,000円/坪という設定です。大型企業の入居により、関係会社、取引先会社などの移転も進むとみられています。  こうして、鉄道の拠点汐留は、21世紀のビジネス街「汐留シオサイト」として、生まれ変わるのです。

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