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現在では国内だけでなく海外にも有名な「アキハバラ」は、地名としてはJRの駅の北300mほどの蔵前橋通りに面した一角が「台東区秋葉原」となっています。  「火事と喧嘩は江戸の花」といわれるほど火災に悩まされた江戸でしたが、明治時代に入ってもそれは変わりませんでした。この秋葉原駅周辺は、江戸時代には下級武士の住居が集まっていた場所で密度も高く、火災に遭うと少なからぬ被害を繰り返していた場所でもあります。現在でも神田佐久間町の名前の残る「佐久間町」は、火災の被害の多さから、地元の人から「あくま町」などとあだ名されていました。明治2年12月に相生町(現在の神田相生町)から出火した火災では、1100戸が焼失しましたが、東京都ではこれを機会にこの付近に火除地を造成し、ここに静岡県春野町秋葉山の秋葉神社から分祀を受け、を築造しました。  秋葉山は天竜川の上流に位置しており、秋葉神社はこの山頂にあります。創建など詳細は不明ですが、社伝では8世紀の初頭に初めて社殿が建てられたとされています。この秋葉神社は火之迦具土大神(ひのかぐつちのかみ)を祭神として、明治以前には「大権現」と呼ばれており、長く火防に霊験があるといわれていました。
 こうして設けられた鎮火神社の火除地は、「秋葉様」の原っぱということで、「秋葉原」(当初は「あきばっぱら」「あきばがはら」と呼称された)という地名が定着していきます。この秋葉神社を松が谷に移転させて鉄道が敷設されると「あきはばら」という呼び方が次第に一般的となっていきました。
秋葉原駅は、明治23年11月1日に開通していますが、この場所は神田川に面しています。実は当時、上野まで鉄道で運んだ物資を、さらに南進させて秋葉原まで運び、ここで水運によって都内各地、あるいは隅田川を下って東京湾に沿って運送しようという計画でした。実際、完成当初の秋葉原駅には船着場が設置されていて、中央停車場(後の東京駅)建設までは、貨物駅としての機能が主なものでした。
 
秋葉原駅南の神田川

ガード下の電器店
  昭和23年(1948年)に、GHQによって露天撤廃命令が出されると、東京都によってその代替地の提供が行われましたが、神田界隈のこうした電機露天商に対しては、秋葉原駅付近の国鉄高架下が提供されることになり、この後、秋葉原界隈が電機商店街として発展していくことになりました。現在では、パソコン関連の販売額が全体の60%以上を占めると言われており、電機街から電脳街へと変貌を遂げいています。

この秋葉原駅周辺は、2002年には都市再生特別措置法に基づき、第一次緊急整備地域として指定されており、現在、急ピッチで再開発が進められています。2006年の全面開業で工事が進められているのは「秋葉原ITセンター」で、24時間稼働の世界的なIT拠点を目指しています。開発はUDX特定目的会社(NTT都市開発と鹿島が出資)とダイビルで、床面積は18・7haにも及びます。このビルに隣接して、地上40階建の分譲住宅「TOKYO TIMES TOWER」も建設中です。また、現在の秋葉原駅の東側に、つくばエクスプレスの乗り入れのための工事も進んでおり、こちらは2005年度の開業予定。45分でつくば研究学園都市と秋葉原を結びます。  一方、NTTコミュニケーションズは、秋葉原中央通りの総武線北側からヤマギワ東京本店付近までの間でブロードバンド通信が可能になるよう無線LANのサービスを2003年の秋から始めています。  電脳街は、国際IT都市へとさらなる変貌を遂げようとしているようです。  
建設中のITセンター
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