東京情報WEB > 交通システム > 東京の地下鉄(第一話)

■地下鉄の黎明期
現在の東京の地下鉄網は、主に営団地下鉄(正式には帝都高速度交通営団)と都営地下鉄(東京都交通局のよる運営)が営業運転を行っています。営団地下鉄の営業路線長は183.2キロメートル、東京都交通局による109.0キロメートルです。  大阪市が地下鉄事業を市営で行ったのに対して、戦前の東京市では民間の会社が地下鉄事業を始めました。最初に地下鉄を建設したのは、「地下鉄の父」と呼ばれる早川徳次によって創設された東京地下鉄道株式会社で、1925年9月27日に着工され、1927年12月30日に浅草〜上野間が開業しています。浅草・上野間は距離2.2キロメートルで、たかだか5分前後の乗車時間だったのですが、開業当時は「東洋で最初の地下鉄」に乗車しようと、観光客が殺到し、1時間待ちの長蛇の列ができたと言います。この路線の改札は、当時ではたいへん珍しい自動改札が採用されていました。
 
早川徳次の胸像
東京地下鉄道は、この浅草・上野間の開業後、路線を北進させ、押上までの延伸を企画しますが、こちらは京成電気鉄道(現在の京成電鉄)が押上〜上野間を1933年に開通させてしまいました。この京成の上野・日暮里間は、開業当時から地下で建設されており、日本で二番目の地下鉄は、京成電気鉄道ということになります。

現在の銀座線(新橋駅)
  その後、東京地下鉄道は、現在は廃止されている万世橋駅を1930年に、神田駅をその翌年の11月に開業するというように順次南下して、上野〜新橋駅を1934年6月21日に開通させています。一方、現在の東急グループの創設者・五島慶太によって設立された東京高速鉄道は、虎ノ門〜表参道(当時は青山六丁目という名称)間を1938年11月18日に開業させたのを皮切りに、地下鉄建設を始め、1939年1月15日に、渋谷〜新橋間を完成させました。こうして現在の銀座線のルートが開通したわけですが、開通当時は東京地下鉄道と東京高速鉄道の相互乗り入れはなされなかったため、地下鉄道の新橋駅と高速鉄道の新橋駅の間は、乗客はいったん降車して乗り継ぎを行わなくてはなりませんでした。  その後、相互直通運転が開始されると、高速鉄道の新橋駅は廃止されることになります。この駅は現在では、夜間に車両を留めておく「電留線」になっています。

■営団の設立と都営1号線
当初は、現在でいう民間活力によって東京の地下鉄道網を敷設しようとしていた国ですが、帝都の近代化を急ぐ観点から、1941年に「帝都高速度交通営団」を発足させ、東京地下鉄道と東京高速鉄道の両者の事業を引き継ぎ、地下鉄運営にあたらせます。しかし、この年の12月には、太平洋戦争が勃発し、営団が最初に着工した地下鉄丸ノ内線が開通したのは1959年(昭和31年)になってからです。 「営団」という団体は、「経営財団」の略称で、もともとは公益事業を国家統制するために設立されたもので、交通営団のほかに住宅営団や中央食料営団などが設立されています。こうした設立経緯のため、戦後GHQの政策によってほとんどが解散させられていますが、交通営団は運営目的に戦争体制整備の色が薄いということで存続しています。
この交通営団の設立時には、国が2/3を出資し、残りを東京市や民間の鉄道事業者などが出資しています。戦後になって、地下鉄事業への参入を企図していた東京都は、営団地下鉄の解体を主張しましたが、政府は都民負担の増加と地下鉄事業の安定した継続が困難になるという観点からこれに難色を示します。そこで、交通営団の出資者を国と都の両者だけにすることにして(現在は約53%が国、残りが都の割合)、意見調整を図りました。しかしその後、結局政府は都に地下鉄免許を出し、1960年(昭和35年)12月21日に浅草橋〜押上間を開業しました。これが都営地下鉄の最初の路線となり、こうして東京の地下鉄の2つの事業主体の態勢が固まっていきました。

■その後の地下鉄敷設
団地下鉄は戦後になって丸ノ内線を最初に開業させ、次に日比谷線、そして東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線、南北線の順に開業しています。ちなみに銀座線と丸ノ内線だけは線路幅が標準軌と呼ばれるレール幅1435ミリで、電気は「第三軌条方式」という三番目のレールからとられる方式が採用されています。
丸ノ内線以後に建設された営団地下鉄は、いずれも東京の放射状に延びる国鉄(現在のJR)や私鉄と相互乗り入れすることが予定されるようになったため、これらの線路幅に合わせて建設されていますが、銀座線はもちろん、戦前に着工になった丸ノ内線だけはそうではなかったというわけです。
一方、都営地下鉄は、浅草線の開業後、1968年(昭和43年)に三田線、1978年(昭和53年)に新宿線、そして1991年に部分開業していた大江戸線が2000年(平成12年)は全線開業しています。  日本で初めて他社線と相互直通運転を開始したのは、実は都営浅草線で、これは押上で京成線とつながっています。この路線は京浜線ともつながっており、現在では「エアポート特快」という羽田・成田両空港を結ぶ便を運行しています。この都営浅草線は、東京駅への接着が検討されており、実現すれば「東京駅・羽田空港・成田空港」という、東京圏の陸空の巨大ターミナルが結ばれることになりそうです。

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