東京情報WEB > 私説・都市辞典 > 都市景観・美観論争

■東京の美観論争
東京において「都市景観」という言葉が意識されるようになったのは、おそらく1960年代であろう。当時、少しずつではあったが、主にアメリカへの留学から帰国して実務に就く建築家が出はじめており、こうした実務家の多くは、大手の設計事務所や建設会社の設計部に所属する人たちであった。アメリカでは、1950年代からミース・ファン・デル・ローエやSOMといった建築家たちが、円熟期にあった経済と技術を背景に、優れた高層事務所建築の設計をはじめている。わが国においても、それにならった動きが出てくるのは当然で、次第にデザインにひと工夫を施したものが増えはじめていた。ただし、技術的あるいは経済的な点において彼我の差は歴然としてあり、それらが例えばガラスのカーテンウォールの表現の差に表れていたのも事実である。ミースという建築家はドイツ出身で、戦後のアメリカの合理主義建築において大きな成果を上げた建築家だが、彼の設計にある気品というものは、経済的なリッチさが少なからず作用していたと言うことができるであろう。わが国でそれを模範としてよく似た設計をした建物もあったが、残念ながらごく表面的なものにとどまっていた感はぬぐえない。
1960年代の東京の都市景観は、こうしたいわば過渡期の状態にあった。そして「景観」ということには、主に単体の建築の美しさに主題があったと言うべきだろう。こうした中で、「東京海上ビル」の論争が持ち上がった。この問題は、初めて群としての「景観」というものについて考える機会を与えてくれた論争であったが、残念ながら、市民レベルにおいても問題を絞りきれずに、広く浸透したものにはならず、制度や法律の問題に終わってしまった。
東京海上ビルにおける、美観論争とは次のようのものだった。1966年に東京海上火災株式会社が、丸の内の古くなった自社ビルを解体し、新しいビルを建てる計画を発表した。この設計を担当したのは、上野の東京文化会館の設計などで有名な前川国男であったが、当初発表された計画では30階建で高さは120mを超えるものであった。戦前からこの丸の内地区は美観地区として100尺(31m)の高さ制限がなされており、この高さでスカイラインが揃っていた。その後の法改正で、高層建築が建てられることになったが、その最初の高層ビル計画として提出されたのがこの「東京海上ビル」だったのである。
東京都の建築主事は、提出された申請に対して不許可としたため、東京海上火災側が都の建築審査会に不服審査請求を行った。この結果、建築主事の不許可が覆される結果となってしまったのである。  このビルの建設賛成派は、戦後の合理主義建築、近代主義建築が世界的な趨勢だったことを主に根拠にしたが、反対派は皇居の前という特別な場所に超高層建築を建設することと、スカイラインの不揃いに対して反対意見を展開した。したがって、このビルの計画が、例えば八重洲地区であれば、全く違った経緯をたどったかもしれない。  結局、国が仲介して、1970年になって東京都と東京海上火災の間で建築計画案に対して修正が施され、25階建の高さ100m(正確には99.7m)として建設されることになった。これが1974年に竣工した現在の東京海上ビルである。
 
東京海上ビル

■都市景観の創造
東京を歩いていると、いろいろな建物のデザインにゆきあたる。多様な表情といえば聞こえはいいが、特にバブル経済期には、自己を主張するために、いかにして他との違いを表に出すかということに膨大なエネルギーを使っていたようだ。例えば、香港では世界各国からいろいろな建築家が覇を競うように設計して、まるで博覧会の様相を呈しているが、東京もそれに近いものがあるようだ。
しかし、例えばニューヨークを見ると、はたして他との違いを出すということにどれだけ気を遣っているのか。アメリカがいいとは言いたくないのだが、かの国のオフィスビルには外観に対しては、たいへん紳士的な態度で設計されているような印象を受けるのは事実である。
また、パリのジョルジュ・ポンピドゥー・センター(設計者の一人リチャード・ロジャースは、汐留の日本テレビタワーの設計者でもある)にしても、そのデザインは、竣工当時は相当な賛否両論があったようだが、「芸術工場」としてたいへんにソフトが充実し、かつ世界にとっても重要なものとなってきたからであろうか、現在ではパリの代表的な建築となっている。古い物を壊して新しいものを作っていく場合、はじめは反対されてもやがて親しみに変わっていくのは、単に見慣れるからか、それとも本質的にはかたちが良いものであったからか。保守的なパリ市民がポンピドゥー・センターに示した竣工当初と現在の反応は極めて興味ある問題である。
ひるがえって東京の実態を見たときに、めまぐるしく移り変わる景観をどのようにうけとめていくべきか、私たちの文化レベルが問われているのである。
街と建築紀行
新橋界隈
八重洲
上野
秋葉原
まちづくりと建築
建築家・橋本文隆氏:同潤会へのオマージュ
中野区・豊川士朗氏:まちづくりへの提言(第一話)
中野区・豊川士朗氏:まちづくりへの提言(第二話)
中野区・豊川士朗氏:まちづくりへの提言(第三話)
中野区・豊川士朗氏:まちづくりへの提言(第四話)
交通システム
東京の鉄道の黎明
東京の地下鉄(第一話)
東京の地下鉄(第二話)
新交通システム
私説・都市辞典
都市景観・美観論争